三平商会の歴史

初代・三平勘次郎と松下幸之助氏との出会い

 三平商会の創業は大正12年に遡ります。創業者である三平勘次郎が生まれ故郷の千葉県那古船形から東京にやって来たのは二十代の頃。当時「南鞘町」と呼ばれていた京橋の地に、勘次郎はこの時代の新しい商品である自転車とオートバイの販売店を開業しました。ある日、そこを訪れたのが自ら開発した自転車用ランプの販路を拡大しようと大阪から東京へとやって来た松下電器器具製作所(現パナソニック)の創業者・松下幸之助氏でした。進取の気性に溢れていた勘次郎は幸之助氏が持ち込んだ最新の電池式ランプに興味を持ち、松下電器の東京における取引先第一号となりました。二人はともに青年起業家同士。すっかり意気投合し、やがてその結びつきは公私の枠を超えた信頼関係へと発展していきました。

パナソニックとともに歩んだ戦後の三平商会

 松下電器との取引により、三平商会は自転車販売修理業の他に電気器具の設計・販売・修理などにも事業を拡大。昭和24年には店を法人化し株式会社三平商会を設立。松下電器に東京特販部が創設されたのに呼応するように、戦後の世の中が求めていた電化製品に特化したビジネスを展開していきました。

 当時の主力商品は炊飯器や掃除機、アイロンなど。昭和30年代に入ると、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家電製品が「三種の神器」と呼ばれるようになり、市場が一気に巨大化。町の電気店である三平商会にはそれらを求める人々が開店前から列をなしたといいます。こうしたなか、消費者と直接接することで得た「お客様の声」は勘次郎や跡継ぎである息子の幸雄を通してときおり訪れる松下幸之助氏や松下電器の経営幹部たちの耳にも伝わり、それが松下電器の製品開発にも反映されていきました。後年、松下電器が開発したスーパーアイロンやホテル向きの静音冷蔵庫、VHSの10分テープ、ハンディカメラとの接続がしやすいRGB端子が前面についたテレビなどはその一例です。

業態をBtoBへと転換

 昭和30年代後半には勘次郎は事業をより現在の業態に近いBtoBへと転換。企業や官公庁を主たる取引先とし、家電に加え、ITV(工業用カメラ)やVTR、複写電送機、ホテル用システム特殊機器といった企業用の製品の取り扱いを開始しました。また住宅産業機器、建材部門など、主要取引先である松下電器の強みが生かせる特殊需要の開発にも努めました。

 二代目の三平幸雄が代表取締役に就任したのは昭和41年。幼い頃から父や幸之助氏から経営者としての薫陶を受けていた幸雄は現在も三平商会の社是である「誠実、勤勉、正直」をモットーに、松下電器のサービス網の構築や制度改革に尽力。新たな商材としてOA機器やFA機器の分野にも進出し、BtoB事業を促進していきました。

「新しいことへの挑戦」、創業以来の伝統で日々前進

 平成15年、勘次郎の孫である信子の夫・大越泰弘が代表取締役に就任。その後も先々代、先代のビジネスを受け継ぎ順調に業績を挙げていった三平商会ですが、平成19年10月、通行人の煙草の不始末により店舗を焼失するといった不運に見舞われます。しかしこのトラブルも近隣企業や地域の人々の多大なる協力と支援のもとに速やかに事業を再開、ピンチをチャンスにという逆手をとる形で先代よりの悲願であった社屋のビル化に着手。現在のオフィスがある宝町三清ビルを建設するに至りました。

 もう間もなく一世紀を迎えようとしている三平商会の歴史。時代は移り変わっても今も変わらずに大切にしているのは創業以来の伝統である新しいことへの挑戦です。お客様にとって本当に価値のあるサービス、ソリューションを提供する。それを使命と心がけ、社員一同日々前進しています。